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「取引先が離れるから値上げできない」が間違っている理由と、利益が増える本当の計算

「値上げ に応じない 取引先」「値上げ 交渉 失敗」。値上げを考えた社長が、検索窓に打っている言葉です。
コストは上がっている。上げなければいけないことも分かっている。それでも言い出せないのは、取引先に切られるのが怖いからです。
ですが、取引先が離れたら損をする、は事実ではありません。値上げのあと取引先が何割離れても今より得かは、自社の数字から計算で出ます。見えていない取引先ごとの数字は、手元の記録からAIで出せます。
製造業の会社を経営してきた立場から、その計算と、数字の出し方、交渉の組み立て方を書きます。
値上げを取引先に断られたら、やはり損をするのではありませんか
断られるのは痛いことです。長く付き合ってきた相手ならなおさらで、その痛みを軽く扱うつもりはありません。
ただ、その痛みは気持ちのダメージです。感情の話です。
一方で、値上げのあと取引先がどこまで離れても今より得かは、数字で出ます。こちらは事実の話です。
経営者にとって一番大事なのは、事実と感情を分けることです。
怖さを無かったことにする必要はありません。怖さは怖さとして脇に置き、判断は事実のほうでする。分けて置くだけでも、値上げの話は判断しやすくなるはずです。
値上げは、経営をどれだけ改善するのですか
家賃や人件費のように、取引量が少し減っても下がらない費用は、値上げの前後で変わりません。値上げした分は、そのまま利益に残ります。業種を問わず、どのビジネスにも効きます。
Marn と Rosiello は、2,463社の平均的な収益構造から、数量が減らなければ価格の1%改善で営業利益が11.1%改善すると示しました。数量を1%増やした場合は3.3%にとどまります(出典:Harvard Business Review, 1992)。
取引先が離れる場合も、計算できます。利益を保てる取引量の減少率とは、値上げ幅を、限界利益率と値上げ幅の和で割ったものです。限界利益率は、売上から材料費や外注費のように売上に比例して増える費用を引いた残りを、売上で割った割合です。固定費と、1つあたりの変動費は変わらないものとします。
限界利益率が30%の会社が5%値上げした場合、取引量が14.3%減るまでは、利益は今と変わりません。限界利益率が低い会社ほど、同じ値上げで許せる減り方は大きくなります。
値上げできない本当の問題は、どこにあるのですか
式は難しくありません。止まるのは、式に入れる数字が手元に無いからです。
東京商工リサーチの調査では、原材料等の高騰分を価格転嫁できていない企業の理由の最多は「受注減など取引への影響が懸念されるため」で60.0%でした。人件費の増加分でも、同じ理由が49.7%で最多です。2番目は「主要取引先からの理解が得られないため」の46.7%でした(出典:東京商工リサーチ「価格転嫁に関するアンケート」調査、2024年2月1〜8日、有効回答2,857社。理由の設問は原材料等の高騰分を転嫁できていない563社が回答)。
最多の理由は、断られたことではなく、断られるかもしれないという懸念です。これは事実ではなく、感情です。そして感情で決めてしまうのは、判断に使う数字が見えていないからです。
売上は請求書に、原価は仕入れや外注の記録に、固定費は会計の帳簿に、それぞれ別の場所にあります。全社の数字は毎月出ていても、取引先ごとに並べ直した表はどこにもない。取引先ごとの限界利益率が分からなければ、計算のどこに自社が当たるのかも分かりません。
あなたの会社の取引先ごとの限界利益率を、いま言葉にできますか?
言えないのは、怠けているからではありません。並べ直す手間が、日々の仕事の中に入る余地が無かっただけです。自社の記録をどう並べるかから一緒に見る場合は、無料の相談で状況を伺います。
値上げせずにこのまま据え置くと、どうなりますか
今日も、上がったコストの分を自社が吸っています。最低賃金は年に一度見直されるので、据え置いた価格との差は開いていきます。据え置いた価格は、次の交渉の出発点になりやすいはずです。
値上げせずに、同業を待つかコストを削って吸収すればいいのではありませんか
東京商工リサーチの同じ調査では、「同業他社が転嫁していないため」という理由も41.5%ありました。相場で値段が決まる商品なら、同業の動きを見る意味はあります。ただ、待っているあいだに吸う額は自社だけのものです。
コストを削って吸収する方法が効くのは、まだ削れる余地がある場合です。全取引先に同じ幅で上げる方法は、取引先ごとの違いを見ていません。
売上の大半を1社に頼っている場合は、値上げの前に別の問題があります。取引先を増やす話で、この記事の主題とは分けて考えるものです。
2026年1月に施行された取適法(下請法の改正)は、中小受託事業者から価格協議を求められたのに応じず、一方的に代金を決めることを禁じました。対象になるかは、取引の内容と資本金・従業員数で決まります(出典:公正取引委員会)。
どの手を選ぶにしても、先に要るのは取引先ごとの数字です。では、いま見えていない数字は、どうすれば出せるのか。
値上げの判断に要る取引先ごとの数字は、どうすれば出せるのですか
記録が散らばっていても、AIで取引先ごとに並べ直せます。新しいシステムは要りません。
AIに渡すものは、すでに手元にある書き出しです。会計ソフトの仕訳や試算表、販売管理の売上明細、仕入れや外注の明細、Excelで付けている台帳。取引先の名前と金額が入っていれば、形式が揃っていなくてもかまいません。
社外のAIに会社の数字を渡すのが気になる場合は、どのサービスの、どの設定なら何が起きるのかを先に確かめます。仕組みと対策はAIを使うと情報は本当に漏れるのかに書きました。
AIが返すものは3つです。
1. 取引先ごとの限界利益率の一覧。売上と、その取引先のために使った材料費・外注費を突き合わせて出します 2. 値上げ幅ごとに、何社まで離れても今より得かの計算。3%、5%、10%と幅を変えて、どの取引先を失うと今を下回るかまで出します 3. どの取引先から、何%で話すかの順番の案。限界利益率が低く、値上げが一番効く取引先が上に来ます
ここからは、説明のための架空の会社で見ます。取引先は7社、年間売上は合わせて1億1,100万円です。
AIに渡す前に見えているのは、全社の数字だけです。限界利益率は21.7%。これだけでは、どの取引先に何を言えばいいかは決まりません。一番売上の大きいA社に断られたら困る、という怖さだけが残ります。
AIに渡したあとに見えるのは、次の表です(数字はすべて架空)。
| 取引先 | 年間売上 | 限界利益率 | 5%値上げで、取引量がここまで減っても今と同じ |
|---|---|---|---|
| A社 | 3,000万円 | 10% | 33.3% |
| B社 | 2,400万円 | 18% | 21.7% |
| C社 | 1,800万円 | 22% | 18.5% |
| D社 | 1,500万円 | 26% | 16.1% |
| E社 | 1,200万円 | 32% | 13.5% |
| F社 | 700万円 | 40% | 11.1% |
| G社 | 500万円 | 45% | 10.0% |
全社で見ると21.7%だった限界利益率は、取引先ごとに10%から45%まで開いていました。
一番怖かったA社は、売上は一番大きいのに、限界利益率は一番低い取引先です。全社で5%上げた場合、A社がまるごと離れても、残る6社の値上げ分で限界利益は今の2,407万円から2,512万円になり、今より増えます。一方、売上の小さい取引先から順に離れていく場合は、今より得でいられるのは1社目(G社)までです。
怖さの順番と、得失の順番は一致していませんでした。話を切り出すのは、限界利益率が低く、値上げが一番効くA社からになります。
表に出てくる数字は、記録から計算したものです。取引先ごとの原価が記録に分かれていない会社では、どの費用をどの取引先に振り分けるかの決め方をAIに伝えます。その決め方を変えると、数字も変わります。
取引先ごとの数字が見えたら、値上げをどう交渉するのですか
数字が見えたら、戦略を立てて交渉に入ります。ここでもAIが使えます。
- 提案資料の下書き:その取引先との取引の推移と、上がったコストを並べ、値上げの理由を1枚にまとめる
- 根拠の資料:労務費の転嫁では、国の指針が、最低賃金の上昇率や春季労使交渉の妥結額などの公表資料を根拠に使うことを挙げています(出典:公正取引委員会)
- 相手の調べもの:取引先の公開情報から、相手の状況を先に押さえる
- 想定問答:相手から出そうな反論と、その答え方
人が決めるのは、どの取引先から話すかの順番と、どの幅で頼むかです。
中小企業庁の調査では、価格交渉が行われた割合は90.7%でした。一方、コスト上昇分のうち価格に転嫁できた割合は54.2%で、労務費に限ると50.0%です(出典:中小企業庁「価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査」、2026年6月26日公表、回答69,625社)。
足りないのは交渉の回数ではなく、交渉に持って行く数字です。どこまでなら離れても得かを自分で分かっていない交渉は、相手の一言で引いてしまうおそれがあります。
新しいシステムを入れる前提ではありません。いま使っている会計ソフトや販売管理、Excelの記録をAIで取引先ごとに並べ、どこから提案するかを決めるところから始められます。
よくある疑問
Q. 値上げしたら取引先が何割離れても大丈夫か計算できますか
計算できます。値上げ幅を、限界利益率と値上げ幅の和で割ると、利益を保てる取引量の減少率が出ます。限界利益率30%の会社が5%値上げするなら、取引量が14.3%減るまでは利益は変わりません(固定費と1つあたりの変動費が変わらない前提です)。
Q. AIで取引先ごとの限界利益率は出せますか
出せます。会計ソフトや販売管理、Excelの書き出しを渡し、取引先ごとに売上と原価を突き合わせるよう頼みます。原価が取引先ごとに分かれていない場合は、どの費用をどの取引先に振り分けるかの決め方を伝えると、その決め方に沿って出します。
Q. 限界利益率が分からないときはどうすればいいですか
売上から、材料費や外注費のように売上に比例して増える費用を引き、その残りを売上で割ります。取引先ごとに出すには、請求と原価を取引先別に並べます。
Q. 値上げの根拠には何を使えばいいですか
労務費については、国の指針が、最低賃金の上昇率や春季労使交渉の妥結額などの公表資料を根拠に使うよう示しています。原材料やエネルギーは、仕入れ価格の推移を取引先ごとの原価と並べると、上げる幅を説明する材料にできます。
Q. 取引先が値上げの協議に応じてくれないときは
2026年1月施行の取適法は、中小受託事業者から価格協議を求められたのに応じず、一方的に代金を決めることを禁じました。対象になるかは取引の内容と資本金・従業員数で決まるので、まず自社の取引が当たるかを確かめると、協議を求める根拠になります。